僕はいつも二軍だった
うんちぶりぶりブリガロン!
スクールカーストってありますよね。
クラスの一軍とか、二軍みたいな。
中学くらいからは特に顕著に現れて、今思えば僕もコンプレックスを持っていたと思います。
クラスの中心にいて、彼女とか作って、いつも楽しく笑っている。
そんな青春時代に今でも憧れているし、二度と得ることができないんだなとも思います。
でも、そんな中でも、自己防衛なのか、自分なりの生き方をしてきたので、今日は人生を懐古するブログを書こうと思います。
【中学時代】
部活は卓球部でした。
この時点でクラスの二軍は確定です。
一軍はだいたい野球部、サッカー部、バスケ部のかっこいい奴らで埋まってしまいます。
僕の中学生活は二軍スタートでした。
一年で同じ卓球部のみんなが辞めたので、一緒に卓球部を辞めた後は、アニメにドはまりしました。
魔法少女リリカルなのはというアニメが悪かったと思います。
ポケモンをガチでブラボーに始めたのもこの頃でした。
ちょうどポケモンリーグ2005の頃で、なんとなく参加してみたら余裕の2落ちでした。(当時は会場大会でした)
ポケモン界のカーストも下位スタートでした。
アニメオタクでポケモンオタクで釘宮病の僕は、クラスの二軍どころじゃなかったと思います。
でもそれなりに楽しかったと思います。
落語天女おゆいが好きだったんですけど、全然わかってもらえなかったです。
【高校時代】
勉強だけが取り柄だった僕はMARCH大学の付属に進学しました。
中学時代にいちご100%で射精してたせいで、女の子にモテたいという願望が強く、高校デビューを決意しました。
生まれて初めて1000円カットではなく美容院へ行き、入学式を迎えます。
「おろしたての制服と桜の舞う通学路〜」なんて歌いながら高校デビューを果たした時点で終わってたのですが、僕の胸は乳首の毛と期待で一杯でした。
同じクラスにはかわいい女の子が結構いました。
僕は誰かと恋に落ちるんだなと思ってました。
部活は演劇部でした。
先輩の勧誘を断れなかったからです。(その先輩はポケモンでお世話になってるSORIAさんの元カノでした)
運動部ではないなので、一軍ではありませんが、女子が多いので期待をしてました。
しかし、高校入学直後、僕はあることに気づきました。
女の子との話し方がわからなかったのです。
クラスの一軍の友達は、流行りの音楽の話題や、芸能人の話で盛り上がることができました。
僕ができるのはせいぜい水樹奈々の話やハレ晴レユカイを踊ることや、エメループくらいでした。
高校入学してすぐに、敗北を知りました。
それからはポケモンに打ち込むことにしました。
最強のドーブルヨノワカビグロスを組んだ2009は、余裕の抽選落ちでした。(当時の公式大会は会場形式で、定員に制限があったため、参加権利が抽選でした)
千葉大会もラスチャレも落ちてしまい、努力は報われないんだなと思いました。
当時僕は高校3年生で、付属の大学に進学する生徒が8割を占める中、他の大学を受験することにしていました。
勉強ができたらモテると思っていたからです。
高校3年の1年間はポケモン以外充実していたと思います。
彼女ができたり、予備校に通ったり、理系クラスだったので男ばかりの中で強気ムーブができたり。(その元カノはポケモンでお世話になってるSORIAさんの知り合いでした)
大学受験は死ぬほど頑張りました。
テスト前に女の子に数学を教えるシチュエーションを実現し、家でガッツポーズしたりもしました。
しかし、大学受験において、大きな誤算がありました。
東京大学に受かりそうになかったのです。
しかたなく、男子率が9割を誇る東京童貞大学に進学しました。
合格発表の時、親は嬉し涙していましたし、僕もちょっと泣きそうでした。(この後訪れる悲劇を知らず)
【大学時代】
案の定大学は男ばかりでした。
講義室の机を指でなぞれば、チンカスがついてくるほどでした。
しかし、1割は女の子がいます。
頑張って大学デビューをキメようとした僕は、なんと一軍グループに入ります。(本当にこの時は頑張った。というか運がよかった。金子くんありがとう)
一軍グループにはかわいい系の女の子も何人かいました。
このまま充実した大学生活を送れるんだろうなと思っていました。
そんな中、異変が起こったのは5月でした。
ゴールデンウィークが終わった直後、7月まで祝日がないことに気づいてしまったのです。
僕は自分でゴールデンウィークを増やすことにしました。
ちょうど6月にWCS2010のラストチャレンジ予選が控えていたこともあり、ポケモンをやる時間を確保したかったのも理由です。
大学をサボり、ポケモンに打ち込みました。
最強のサルキアを組み、ラストチャレンジでは優勝しました。
ずっと目標にしていた、全国大会の切符を勝ち取りました。
そして、全国大会に向けて、大学サボりを継続するようになります。
6月下旬にポケモンの全国大会があり、僕は日本代表手前で敗退しました。
今思えば、世界へ行ったサブローさんのような完成度のない構築だったので、仕方ないとは思います。
でも、当時の僕は日本代表の権利を貰える8番目以上には強いと思っていたのでショックで大学に行かなくなりました。
7月上旬、高校から付き合っていた元カノにフラれました。
「なんか無理」という理由でした。
僕は大学をサボりました。
7月下旬、さすがにテスト前なので、講義に出ることにしました。
そこであることに気づきます。
僕がかつて所属していた一軍グループ内でカップルが成立していたのです。
それも二組。
そして、一軍グループで仲の良かった栗原くんは、僕と同じく大学復帰戦みたいでした。
気づいたら一軍とか二軍とかそんな括りじゃなく、僕と栗原くんというグループが出来ていました。
単位はボロボロ落とし、1回生の終わりには土下座して単位をもらって進級することになります。
サークルは演劇サークルでした。
高校時代にやっていたのと、先輩の勧誘を断れなかったからです。
大学をサボっている間も、サークルには行っていました。
野球とかサッカーとか、そういう一軍向きのスポーツはいまさらできないと思っていましたし、事実そうだと思います。
サークルは真面目にやっていました。
僕がBWからポケモンをやらなくなったのもそれが理由でした。
大学1年の秋頃、サークルの先輩とお付き合いを始めることになります。
この人とは5年くらい続くことになるのですが、別におもしろくないので割愛します。
大学時代はひたすら演劇に打ち込みました。
映画に出たり、プロの舞台に出たり、事務所のオファーを受けたこともありました。
あと、自分の劇団を立ち上げたりもしました。
赤字だったので、学祭で焼きそばでも売った方がよかったねなんて言いながら、何度も公演をやりました。
お客さんが僕の作品を観て泣いてくれたことや、それを見て自分が泣いたこと、一緒にやってた後輩に「二度とてめえなんかとやるかバカ!」って言ったこと、何度も先輩や後輩を泣かせたこと、それがきっかけで自分も一人で泣いていたこと、脚本が書けなくて土下座したこと、今でも覚えています。
当時は本当に、楽しかったと思います。
僕がスクールカーストの束縛から抜けて、自分なりに眩しく生きられていた頃だと思います。
一軍とか二軍とかじゃなくて、自分なんだって初めて思えたのはこの時でした。
【大学院時代】
かろうじて大学を卒業した僕は大学院に進学しました。
大学院に入っても、演劇は続けていました。
教授には怒られました。
M2の冬、サークルの先輩とは別れて、別の人とお付き合いを始めました。
僕は演劇ですぐに心を痛めるのですが、それを支えてくれた人でした。
修論は修羅場でした。
長い時は2週間くらい大学から帰れなかったと思います。
それでもなんとか修了することができました。
就活は楽勝だったので、2016年からは就職して働き始めました。(サンキュー学歴)
【社会人】
もうゴミクソうんこで最悪です。
早く月〜金9〜20時くらいのホワイト企業に転職したいです。
最高で12時間くらい残業したことがあります。
お付き合いさせていただいていた方とも別れました。
これに関しては僕が一方的に悪かったと思います。
心にゆとりがありませんでした。
一方で、ポケモン界では「アナルガムのライター」という不動の位置を獲得しました。
ポケモンの強さとか、実績とか、知名度に影響されない最高のポジションです。(すみません、精子時代のおまんこ到達一位の実績はあります)
汚いとか、素人童貞とか、キモいとか思われる方もいるかもしれません。
でも、僕たちのアナルガムで笑ってくれる人が1人でもいるならば、僕は風俗を禁止されるまでアナルガムのライターであり続けます。
約束します。
まだまだ書いていないジャンルのお店もあるし、おちんちんは勃ちます。
大学時代以降、スクールカーストから開放されました。
社会人になってからは、スクールカーストなんてないのかもしれないけど、社会的なカーストとかからも解き放たれて、自由に生きられていると思います。
まだまだ、仕事はしんどいし辞めたいけど踏み出せないなんて縛られてはいますが、人生まあ楽しいと思います。
ところで、最近気づいたのですが、生え際が後退してきています。
これは婚活を急がなければ・・・と思った次第なので、お嫁さんを募集します。
以下は僕はプロフィールなので、興味ある方はご連絡ください。
・神奈川県在住、一人暮らし
・26歳。
・職業はSIer
・ヒモ志望
以上、よろシックスナイン〜